いいね!が欲しくてFacebookを使ってたけどやめたら分かった6つの過ち

 /  Life

Facebook Flower
photo credit: mkhmarketing via photopin cc

 この記事について:「ソーシャル疲れ」という言葉があるように、Facebookが面倒に感じたので使うのを控えました。そして、よくよく考えてみたらいいね!欲しさにFacebookに投稿していたんですよね。

スポンサーリンク

はじめに

みなさんは、Facebook楽しんでますか?それとも、Facebookにちょっと疲れていますか?

「ソーシャル疲れ」という言葉があるように、面倒に感じたり、気疲れしたりすることもあるようです。私もFacebookに関してはなんだか面倒に感じ始めたので思い切って1ヶ月ぐらい投稿やいいね!を押すことをやめて、Facebookを見る回数も徐々に減らしてみました。

実際に控えてみても日常生活に支障は無く、面倒さや気疲れは無くなり、今となっては「気が向いたら、あるいは必要に応じて見ればいいか」という感じです。

そんな中で、自分は一体Facebookで何をやっていたのかを正直に振り返ってみると見えてきたのが「いいね!欲しさ」だったのです。

いいね!欲しさにやらかしていた6つの過ち

いいね!欲しさにFacebook上で自分が何をやっていたのかを正直に振り返ってみると6つの過ちが見えてきました。

  1. いいね!が付かないことに劣等感を感じていた
  2. いいね!を押すことで恩を売っていた
  3. いいね!を押さなければならないプレッシャーを感じていた
  4. いいね!を集めるためだけにネタを探していた
  5. いいね!が付く状況を監視していた
  6. シェアすることで話題を提供している気になっていた

1. いいね!が付かないことに劣等感を感じていた

数十、あるいは百単位でいいね!が付いている投稿を見るとそれだけでその投稿を書いた人が「すごい人」のように見えてしまうものです。

そんなすごい人に対して自分はいいね!は付かないし、付いたとしても数個程度。「なんでこんなに考えて投稿しているのにこれしかいいね!が付かないのか」と反省、また次の投稿に勤しむ。

嫉妬心から生まれた間違った方向への謎の努力でした。

2. いいね!を押すことで恩を売っていた

「いいね!押してあげたんだからこっちにもいいね!押してよね。」ってことですよね。

まさにいいね!のギブアンドテイクです。

3. いいね!を押さなければならないプレッシャーを感じていた

こちらが恩を売っていると思っていれば他の誰かのそのいいね!も自分に恩を売っているのではないかと勘ぐってしまうものです。すると、「この前いいね!を押して頂いたから今度はこちらがいいね!を・・・」となってしまう訳です。

同情を誘うような投稿、「いいね!を押さないとコメントしないと酷い人や冷たい人と思われるのではないか」と勘ぐってしまうものです。すると、「一応、押しておくか」となってしまう訳です。

結局、たいして投稿内容を読みもせずに「とりあえず、いいね!」が作動していました。

4. いいね!を集めるためだけにネタを探していた

気づいた時には「どうすれば、いいね!がたくさん付くのだろうか。」ということを起点としてネタを探し始めていました。写真がいいのか、タイムリーな話題がいいのか、ためになる名言がいいのかなど、探し始めたらキリがありません。

5. いいね!が付く状況を監視していた

「で、で、できたー!」的に会心の一撃を放つといいね!が待ち遠しくて待ち遠しくて仕方ありません。すると、Facebookを開いて何度も更新していいね!が付く状況を監視していました。

そして、思ったようにいいね!が付けば満足、思ったようにいいね!が付かなければ不満足。フィード上で自分の投稿がスルーされていくのを眺めフラストレーションがじわじわ溜まっていました。

6. シェアすることで話題を提供している気になっていた

たとえば、子どもの頃に学校で「昨日の○○見た?」とテレビの話題について語っていた時のことを思い出してみてください。そのテレビ番組を見ていた人と見ていない人との間には決して相容れることのできない溝のようなものがあったのではないでしょうか。子供の頃から話題に参加できることの心地よさ、話題に参加できないことの不快感を経験的に知っています。

シェアは話題に参加するための手軽な方法です。そして、シェアすることで新鮮な話題を知り合いに提供している気分にもなれます。しかし、残念ながらそのシェアは「今、話題に参加している」と自分が満足するためにシェアボタンを押しているだけに過ぎなかったのです。

他人からの評価に動かされていたと自覚した

さて、Facebookの利用を控えていた中で見えてきたいいね!欲しさですが、突き詰めてみれば他人からの評価に動かされていただけだったんですよね。

いいね!を得ることは他者からの尊敬を意味し、まるで渇いたのどを潤すように注目を集めることを望み、いいね!をたくさん獲得する人という地位を望んでいた。

そういうルールのゲームを自分の中で作り出してゲームのプレイヤーとして参加していただけかもしれません。

Facebookに投稿することは近況をアップデートすること

PCだと「近況をアップデート」スマホだと「近況」と書かれているように、Facebookに投稿することは近況をアップデートすることです。
この基本に立ち返ると近況をアップデートすることが目的であり、決していいね!を獲得することが目的ではありません。

「近況を報告したいということでなければ投稿しない」ということであれば実際に投稿することはそんなに多くありません。また、特に普段なかなか会えない知り合いや遠方に住んでいる知り合いの近況を知りたい時に、Facebookを開きフィードを眺めるだけで十分でした。

必要な人から必要な知らせはそれ相応の経路で自分の元に流れてくる

投稿をやめてFacebookを離れると「タイムリーに情報が得られないのは困るのではないか」と思っていたのですが特に問題ありませんでした。

メールによるお知らせの送信も切り、スマホのバイブやランプも切り、アイコン通知が来ていたら開く程度でも十分にその人とコミュニケーションは取れています。これまで通りに電話も鳴るしメールも来ます。

結局、必要な人から必要な知らせはそれ相応の経路で自分の元に流れてくるんですよね。

Facebook上の人付き合いと現実社会の人付き合いは同等、コミュニケーションの手段がFacebookであるか、そうでないかの違いだけでした。

おわりに

現実社会で事あるごとに「今のトーク、今のコメント良かったよね?」とか、「今この仕事しているんだけど、今ここに居るんだけど、今この人と居るんだけどいいでしょ?」と、知り合いに聞いて回っている自分を想像してみたらどうでしょうか。

正直、嫌ですよね。疲れますよね。

いいね!欲しさにFacebookを使っていたのはそういうことだったのかもしれません。

物は使いよう、現実社会の人付き合いをより良くするために便利にするためにFacebookをうまく使っていきたいですよね。

 タグ:

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク